(重点政策その2)最新の実践に基づいた教育改革を行います。横断的研究と縦断的研究

2011年04月11日

市民のネットワークが被災地を救う: 地震医療ネットワークと相馬市 〜寄稿していただきました〜

東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム 特任教授の上先生から被災地支援について寄稿して頂きました。

医療現場という、極めて重要なセーフティネットを被災地において維持するために、人々のつながりがいかに重要な役割を担ったか。
「大震災が日本の医療の終焉の始まりとなるのか、再生の萌芽となるのか。それは、これからの我々の行動にかかっている」と書かれていますが、これは医療だけではなく、公的サービスを含む様々な分野に該当します。
その意味で大変貴重な報告だと思います。


ぜひご覧ください。


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市民のネットワークが被災地を救う: 地震医療ネットワークと相馬市



3月11日、東日本大震災が発生し、各地で甚大な被害が生じた。特に悲惨だったのは、福島県の浜通地区だ。地震・津波に加え、原発事故、さらに風評被害が加わった。行政のサポートも不十分だった。相馬市の立谷秀清市長(医師)は「厚労省は、私たちを救うよりも、捨てることを考えているのであろうか。安定しない政府のために、市民はパニックに陥り、病院のスタッフも逃げ出してしまった。」と語る。この地域の経験を共有することは、災害を考える上で貴重だ。本稿では、この問題を考えたい。



被災地が混乱した最大の理由は、病院・市・県・国という平時の情報流通・物流ルートが破綻したことだ。
このため、被災地から情報が入らず、関係者は動けなかった。

多くの地域では、官を補完する民のネットワークが弱く、業界団体は「行政と協力して」を合い言葉に指示待ちを続けた。メディアも「政治は官僚を使え」と言い続けた。
こんな主張は何の役にも立たなかった。


状況を打開したのは市民のネットワークだ。
被災地の役に立ちたいと思う有志が、各地で連携した。さまざまなネットワークが自立・分散・協調しながら活動した。
この際、ツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアが大きな効力を発揮した。




筆者たちの経験をご紹介したい。筆者らは、3月15日に有志12名で「地震医療ネット」という団体を立ち上げた。
参加者には、東北地方にネットワークがある医師と、信頼できるメディア人を誘うようにお願いした。現地情報を入手し、拡散するには、両者の参加が必須だからだ。
このネットワークは急成長し、4月8日現在、参加者は300名を超える。




相馬の事例をご紹介しよう。
この地域が悲惨だったのは、被爆を恐れたのか、現地に入るメディアは少なかったことだ。このため、実情は国民に知られず、サポートする人も少なかった。

この状況に突破口を開けたのが、地震医療ネットのメーリングリストである。
例えば、尾形眞一氏(薬剤師)は、毎日、現地の実情が報告してくれた。尾形氏を仲介してくれたのは、私の飲み友達である坂田和江さん(薬害肝炎被害者)だ。
3月17日の投稿では、「この病院が屋内退避になっても、籠城して入院患者を守りたいが、今の南相馬市病院のように、必要な物資が届かない事態になれば死んでいくしかない」、「不用意な発言によりパニックになったナースがいる」「ガソリンが回ってこない。あと2、3日が限界である」と訴えた。


一方、相馬市の立谷市長もネットワークに加わった。
「相馬市は、今や原発から日本を守るしんがりである。相馬市が止めなければ、日本は原発に負けると考えている。科学的な数値に基づけば、相馬市は屋内にいれば放射能から十分に身を守れる。」と「籠城戦」を宣言し、具体的な問題点を挙げ、サポートを求めた。
例えば、「重症患者の搬送が必要だ」、「精神科医が足りない」、「調剤薬局を再開したい」などである。
薬不足と言わず、調剤薬局の再開と求めた点など、地元を再興したという市長の希望を反映しているのだろう。



地震医療ネットは問題解決をサポートした。手段は一つ。メーリングリストを通じ問題を広く周知し、「自分が出来ることをやってください」と求めることだ。
多くの関係者が、これに応じた。例えば、精神科医不足を知った中村祐輔氏(内閣府医療イノベーション推進室 室長)は、学生時代の同級生や知り合いに電話をかけまわり、最終的には徳州会が派遣することとなった。
また、業界関係者の支援を受けたそうごう薬局は業務の再開を決断した。
さらにメーリングリストのやりとりを見ていた自衛隊関係者は、相馬から重症患者を搬送するように調整した。
この間、厚労省や業界団体は情報を収集するだけで、具体的に動くことはなかった。機動力、およびコーディネート力に欠ける。


このようなやりとりを通じ、様々な人間関係が構築された。
例えば、尾形氏は、「そんなところへ、相馬市の立谷市長から突然私の携帯に電話がありました。(中略)また、それら取り組みの情報を知らずにいたことを謝罪し、今後は密に連携して取り組んで行くことにしたいとおっしゃいました」という。
3月22日、尾形氏は立谷市長の直下で震災対策に取り組むこととなった。


また、地震医療ネットの事務局を手伝った岩本修一氏、森甚一氏(いずれも都立病院シニアレジデント)は、週末の休みを利用し、ボランティアとして相馬市に入った。
立谷市長からは、老健施設の診察を依頼された。数日間と雖も、岩本医師が診療に従事することで、現地のスタッフは休むことができただろう。被災現場にとって、フットワークの軽い若手医師は「使い勝手の良い存在」だったに違いない。
尾形氏や岩本氏の活動はツイッターやメーリングリストで紹介され、被災地のために何かしたいという人たちの心を動かした。




原発の放射線漏れ、余震など、まだまだ相馬は予断を許さない。
ただ、このような活動を通じ、国民にはかつてない一体感が醸成されつつある。今回紹介した事例はその一端だ。
果たして、大震災が日本の医療の終焉の始まりとなるのか、再生の萌芽となるのか。それは、これからの我々の行動にかかっている。みな、日本再生を目指して、自らのできることを黙々とやろうではないか。


最後に、地震医療ネットの事務局を手伝ってくれた若者たちを紹介したい。日本大学法学部の五反田美彩さん、小倉彩さん、今春から司法修習予定の西尾浩登さん、青山学院大学総合政策文化学部の中野ゼミの皆さん(清水昇さん、阿部憲史郎さん、中屋心路さん、小嶋万美子さん、櫛田光さん)たちだ。彼らのサポートがなければ、地震医療ネットは機能しなかった。心から感謝申し上げたい。



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東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム 特任教授  上 昌広



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kenposzk at 13:27│TrackBack(0)考え・想いなど 

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