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2011年04月01日

これからの行政・教育にできること〜寄稿して頂きました〜

上越教育大学の西川純教授に、「幸せ」についての価値観の変化、そして変化に寄り添うことによって行政と教育はどんなことができるのか、について書いていただきました。

単なる「コミュニティの再生」というお題目ではない、とても深い内容です。
ぜひご覧くださいませ。

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等身大の行政・教育に出来ること


幸せのイメージと行政
 何を幸せとイメージするかで行政に求めるものは違います。そして教育に関してもです。


 多くの保護者は、子どもの学力向上を求めます。小学生の時は、単純に健やかであればと願っていたとしても、高校受験・大学受験を目の前にする中高に進学すればテストの点数に一喜一憂します。
 その声に応えて、全国学力調査の順位、東京大学進学者数を上げようと各学校に檄を飛ばします。

 これらは、偏差値の高い学校を卒業して、一流企業に就職させたいという願いです。そして、なんだかんだ言ったってお金や地位が幸せに繋がるという仮説です。その仮説は概ね正しいと思います。


 しかし、それと違う保護者もいます。
 ある地方の温泉街にある小学校の先生は保護者から「勉強を教えないで欲しい」と求められるそうです。
 その学校の先生からその話を聞いたときは唖然としました。保護者は「勉強が分かると大学に行きたがるようになる。大学に行けば地元に戻ってこない。恥をかかない程度で十分だ。」と言うのです。

 この保護者の考える幸せとは、家業を継いで3世代、4世代で普通に生活する生活が幸せに繋がるという仮説です。


 二つはそれぞれに正しく、それぞれに極端です。
 しかし、私は温泉街の保護者の方が正しいように思うのです。なぜなら名門大学、一流企業の定員は限られています。もし、それが幸せであると考えれば、圧倒的大多数は不幸となります。


 みんなが実現できる幸せ、それはごく普通の幸せだと思います。それを実現するには何が必要なのでしょうか?
 新幹線・高速道路でしょうか? それには膨大なお金がかかります。日本国首相並みの人でも、数十キロ延伸することが出来ないのではないでしょうか? 大規模な施設でしょうか、それも予算がかかります。

 福祉でしょうか? 福祉にはお金がかかります。ところが支える側が支えきれないほどの社会になっています。
 消費税を上げても、国レベルで見れば、右のポッケから左のポッケに移動しているだけです。ポッケの中のお金の総額が変わらず、必要となるお金が多くなれば、どうしょうもありません。


 では、どうするか。それは、今までお金をかけていたことが、お金がかからなくなり、逆に、お金を生み出すようになればいいのです。

 

手つかずの資源
 日本中の全ての地域には素晴らしい資源があります。手つかずの大鉱脈があります。
 石油でも、金でも、レアメタルでもありません。それは家族であり、一緒に時を過ごした友です。
 この人と人との繋がり、それも等身大の繋がりこそが、予算をかけずに大きな価値を生み出す大鉱脈だと思います。


 例えば、共稼ぎの家庭にとって、小さい子どもの育児は大変です。働いても、給料の多くが育児にかかります。
 その一方、人に求められることなく、自分の生きる意味を見いだしかねている高齢者もいます。それならば、その人が育児を出来たら、良いのではないでしょうか? 昔の大家族はそうやっていました。それだから、子だくさんの家族が成り立っていました。

 教育にお金がかかります。しかし、退職した教員の数は少なくありません。なにしろ日本人口の約1%は小中高の教員なのです。その教師が無料の塾を運営したらどうでしょうか? 

 教員以外にも様々な能力を持った高齢者はいっぱいいます。それらの方々は大きな資源です。


今後の行政でできること
 かつての社会は、規格化し、大規模化し、統制するという大規模工場的なものが効率がよいと考えられてきました。
 しかし、一人一人が自分にあったライフスタイルを求めるようになれば、個性化し、小規模化し、自由なもののほうが効率が良くなります。

 行政もそのような施策があってよいのではないでしょうか?
 例えば、以下のようなものがあります。


●二世代・三世代家族の再生

 教員の世界は女性の社会進出が最も進んでいます。子どもが多い家庭の多くは親と同居しているか、きわめて近いところに住んでいます。例えば、二世代住宅を新築したり、親と近い場所に住む場合は、税制上の優遇措置があっても良いのではないでしょうか?

●職場と家

 通勤時間が1時間、2時間もかかれば家族・友人との時間を確保できません。例えば、地元企業が職場に近い住居を持つ職員に住宅手当に優遇措置をする場合は、その一部を補助することがあっても良いのではないでしょうか?また、職員に税制上の優遇があっても良いのではないでしょうか?

●保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校・高齢者施設の併設

 高齢者はどんどん増えていきます。もし、高齢者にお金をかけていたら限界があります。しかし、高齢者が保育者になれば「資源」となります。また、小中学校の総合的な学習の時間を活用すれば、子どもたちは支援者となれるのではないでしょうか?もし、建物が近接しているならば、色々な試みが出来ます。

●小規模施設

 大規模な公共施設ではなく、小規模な公共施設を数百mに一つ、確保するのです。広さは20畳程度でトイレと水場があり、折りたたみ式の机と椅子が20人分ほどあります。シンプルな作りであれば色々に活用できるでしょう。例えば、地域の人たちの材料持ちよりの飲み会、子どもたちが集まって受験勉強(そこに地元大学生が教員採用試験の受験勉強をするというもありです)、地域の人主催のカルチャーセンター等が考えられます。とりあえずは小中学校の一部改造によって確保できるのではないでしょうか?

 

一人も例外の無い幸せを実現するための『学び合い』

 おそらく、上記のようなことをやればかなりのことが出来ると思います。そして、家族・親戚・友人のネットワークは形成されるでしょう。
 しかし、残念ながらそのネットワークの広がりは二三十人のレベルを超えないでしょう。
 考えても見てください。あなたの家族・親戚の数は何人ですか。今も交際している小中高の友人は何人でしょうか? 

 我々ホモ・サピエンスは群れを作る本能を持っていますが、その群れの大きさはそれほど大きくはありません。
 それを越えた群れを作るには教育の力が必要です。


 私は『学び合い』という教育の考えを提案し、日本中の小中高で実践されています。
 『学び合い』を一言で表現すれば、「一人も見捨てない」ということが道徳上の徳目ではなく、実利的な「得」であることを、毎日の国語、算数・数学、理科、社会・・・の勉強の中で学ぶ教育です。
 子ども達は、クラスの仲間を絶対に見捨てないことを毎日、毎日学ぶのです。


 『学び合い』の授業風景は以下のようなものです。
 授業の開始のベルが鳴ると教師が登場します。そして、「今日の目標は、教科書21〜24の問題を全員が解けるようにすること」(体育だったら「全員が逆上がりが出来ること」)のような短い課題を口頭で述べ、黒板に書きます。

 「さあ、どうぞ」と教師の合図で、子ども達は立ち歩いて自由なグループを作ります。
 自由に作るのですが、いわゆる好きなもの同士のグループではありません。毎日、毎時間、さまざまなグループを子ども達は作り、その新たな組み合わせを楽しんでいます。

 子ども達は「分からない人いない?」や「教えて〜」と声を上げ、熱心に説明しそれを聞きます。生半可な説明では納得せず、別な人に聞きに行きます。
 その様子は、活気のある新聞社の締め切り前、文化祭前日の準備の様子です。
 かなり騒がしいですが、遊んでいる子は一人もおらず、全員が必死になって勉強します。 それが30分数分続くのです。その間中、教師はニコニコしながら机間巡視をしています。

 授業の終了前5分程度になると自然と席に着き、教師の話を待ちます。
 教師は、全員が出来たか、そして、全員が出来るために全力を尽くしたかを問い、まとめます。
 それは野球部の監督が、練習の最後に訓辞でまとめる様子に似ています。それが毎日、毎日、続くのです。


 かなり異常な様子ですが、成績が上がります。
 なんとなれば、今の日本には塾・予備校・通信教材を通じて、教室で学ぶ内容を既に学んでいる子どもは2割以上います。
 普通の授業では、教師の手前、知らないふりをしています。しかし、『学び合い』では、その知識を活用して教えるのです。二三人の教師がティームティーチングするレベルを超えた個別支援が出来ます。

 また、子どもも分からないと同級生には言いやすい。
 そして、最後の最後までみんなが出来るようになるため必死になります。
 ある子は自分のためではなく、同級生のために予習するようになります。
 そして、教えられる子も周りの同級生の期待に応えるために復習するようになります。 体育祭のためにクラスが一丸となって燃え上がるとき、クラスの人間関係が向上するのと同じことが起こるのです。そして、それは年1回の体育祭ではなく、毎日の勉強でそれが出来るのです。
 そのような集団では、絶対に見捨てられないのです。それが『学び合い』です。今、日本全国に急激に広がっている最先端の教育の考え方です。


 想像して下さい。幼小中高の多感な15年間、常に見捨てられないという安心感と、相談できる仲間を得られたとしたら、その子たちはどのような大人になり、どのような仲間を得るでしょうか?
 そして、それを核として、保護者がネットワークを組んだならば、どんなことが起こるでしょうか?保護者は学校は「息子(娘)の学校とは呼ばず」、「うちらの学校」と呼ぶのです。


 私の考えるユートピアには、空想科学小説のような新技術は必要ありません。
 そこには人と人の繋がりがあればいいと思います。

 生まれたときに数百人の人たちに祝福され、悩んだときに相談出来る人が100m以内に数十人いる社会で一生を過ごし、死ぬときに数百人の人に見送られる社会です。
 そして、そのネットワークを一人の例外もなく持てる社会です。
 それは今の我々は実現可能だと思っています。それも、我々の存命中に。


注 紙面の関係で『学び合い』に関しては割愛したが、興味のある方は「『学び合い』スタートブック」(学陽書房)、「気になる子の指導に悩むあなたへ」(東洋館)を参照下さい。

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上越教育大学 西川純教授
http://www.iamjun.com/



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