2005年02月16日
時事:ゆとり教育の迷走
ゆとり教育、こんな迷走してしまっていいのでしょうか。
現行の指導要領については「知識や技能を詰め込むのではなく、自ら学び考える力を育むとした理念に誤りはない」としながらも、「その狙いが十分達成されているか、必要な手立てが講じられているか、課題がある」と問題点を指摘した。 (朝日新聞より)
原文に当たっていないので正確ではないかもしれませんが、「知識の詰め込み」と「学び考える力の育み」を二項対立で扱っているのが根本的な間違いだと思います。
考える材料をふんだんに与えないで考えることができるはずがありません。知識を与えずに考えることはできません。考えることができなければ考える力はつきません。
サッカーで、基本的なルールや技術をろくに教えないで試合の組み立てを考えさせるようなもんです。
音楽で考えてみてもわかりやすいかもしれませんね。どんなに優秀な官僚であったとしても、どんなに数学的な思考力があったとしても、いきなりSMAPの新曲を作曲することはできません。考える材料も経験も足りないからです。
コード進行や音色、リズムなどの基本的な知識、あるいは十分な経験。これが無いで「SMAPの新曲、曲調はどうしようか」とか「この歌詞にあう和音は・・・」なんて考えられるはずも無い。
コード進行や音色、リズムなどの基本的な知識、あるいは十分な経験。これが無いで「SMAPの新曲、曲調はどうしようか」とか「この歌詞にあう和音は・・・」なんて考えられるはずも無い。
それと同じ。基本的な情報を与えることが「詰め込み」として否定されるのはあほらしいことです。
そもそも、教育においては、「教科を通じて能力を育む」という思考が必要なのではないでしょうか。数学を通じて論理的思考力を高める、社会を通じてロールプレイ(役割思考)能力を高める、など。この辺りは藤原和博さんに影響されていますが。
ちょっと雑な議論になって申し訳ありませんが、時間が来ましたのでいったん切ります。
要点をまとめると、
・「知識の詰め込み」と「学び考える力の育み」を二項対立で扱っているのが根本的な間違い
・教育においては、「教科を通じて能力を育む」という思考が必要
以上です。
・「知識の詰め込み」と「学び考える力の育み」を二項対立で扱っているのが根本的な間違い
・教育においては、「教科を通じて能力を育む」という思考が必要
以上です。
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